2011年7月31日日曜日

その昔「日本のため」を金科玉条にして戦争を美化した指導者たちが、婦女子に竹やり訓練などを押しつけて世論を誘導し破滅の戦争に進んだ教訓がある。

「日本経済のための原発」も、「偽メール」など次々と胡散臭いニュースが明るみになると、国民の知らないところで醜悪な人間どもが、徒党を組んで我欲を満たすために秘かに蠢いているのでは疑いたくなる。

 高級車に乗り秘書を連れた政治家や首長、高級官僚など、上から目線の原発巨大利権勝ち組連合の面々で、面々に共通していることはお互いに深い利害関係で結ばれていて、そのことをおくびにも出さず涼しいん顔で原発の必要性を訴えている。実に上手く本性を隠した名演技者である。

 国と言い地方と言い、演技の上手い人「パホーマンスの好きな口先だけの人」が政治家に立つことは理に適ってはいるが、不祥事が氷山の一角であることを考えると気分が悪い。
 思い起せば使った燃料棒の処分の解決策もないまま燃やし続けることは、トイレのないマンションを建てて売るような異常行動であるのに、それを国民が感じなくなっていたことが悲しい事態だと言わざるを得ないです。
地球や自然というマグマ活動する有限で過酷な環境のなかで活きる人類は、謙虚で身の丈に合った生き方が必要だと痛感します。

2011年7月30日土曜日

2011年7月29日金曜日

自己愛と他者愛

  人はまず自分のことを第一に「自己愛」考えます。しかし社会のなかでは周囲の人に対する礼儀や感謝、気配りも必要です。特に女性、老人、子供、障害者、もの言わぬ動物などの弱者に対する思いやりは、人間を人間たらしめる最も大切な精神であり、その精神は自己愛の対極にある他者愛として位置つけられています。

 Artに関心をもつことは地球とか大自然に向き合うことですから、そのなかには地球環境から社会、生物、動物と人間などの生命とか愛などが対象になります。外にある大きく広いものに向けらた他者愛、または関心ということになり、他者を重んじる礼節や和に目覚めます。そして人間としての信義を尊び恥を知ります。

  この反対軸の自己愛者はうっかりすると文字通り自分中心の歪んだ価値観を持ち、矛盾と邪悪性を抱えることになります。礼節や信義、恥という言葉は他人を意識した言葉ですが、自分が良ければよい利己主義者は、無人島で住んでいるかのように他人を意識しません。エゴイズムは出世の風見鳥として役に立つ人には異常な気配りはするが、その反動で役に立たない人は見下して、他人との信義や礼節は意に介しなくなります。

 大会社、大きな家、大きな車をステータスとして人の価値基準を大小高低で判断する。 国の中枢の政官に不祥事が絶えなかったり一代で金持ちになった政治家などは、「当たらずも遠遠からず」でしょう。 また自己愛者は「自分は又は自分の子供はよその子より優れている」という盲愛、過信、驕りをもちやすく⇒周りから崇められて当然だというわががまな権威主義、権力志向者になり⇒権力者に従わない部下などには過剰な反応をします。他人を踏み台「虐げる」にすることに躊躇も罪悪感も無くなります。

 識者は贈収賄やセクハラ、パワハラなどを犯しやすい性格だと定義している。その上歪んだ価値観は自己の運命を社会や他人のせいにする「自己破滅」の過ちを犯します。 これは生体で異常増殖するがん細胞そのものです。つまり他者愛が結局は自己のためであり、自己愛は結局は自分を滅ぼすと定義できます。また他者愛は見返りを求めないから過信や傲慢さ、他人のせいにする邪悪性はなく「あばたも笑窪の異性愛は別です(^-^;」、深めるほど広くて大きな世界と連帯できますが、上記のような歪んだ自己愛は共存する他者や社会を否定した邪悪で孤独なブラックホールのような自己破滅行動に向かいます。

 現代の親殺し、子殺し、自分の死刑を望んで無差別殺人に走る若い人たちは、自己「孤独」からの出口を見出せない歪んだ閉塞感や絶望感に押し潰さた姿ではないでしょうか。 http://www.geocities.jp/oiroy61okeus/newpage307htm

ドナルドキーン博士。

ドナルド・ローレンス・キーン(Donald Lawrence Keene)

 ドナルドキーン氏に限らず多くの外国人の日本人評は「礼儀深さ」ではないでしょうか。東日本震災被害の人々の節度ある行動が外国メデアに賞賛されました。無人島で一人で生活している人には礼儀や信義は要りません。他人と一緒に住むところには他人を意識した節度ある行動をとることが「礼儀」だと定義できます。

 ドナルドキーンさんは外国人と違う日本人の特徴を「自分を出さない」ことだと言われましたが、それは謙虚さや奥ゆかしさ、謙譲の美徳と言う意味と同時に、他人を尊重する、他人を立てる、敬意を払う、人様に迷惑をかけるな、などの他者への
配慮や思いやり、生命をもつすべての他者に対する信義と愛情です。

西洋ではこのような他者愛は自己愛(エロス)を超越した人のステージで、アガペー(天上の愛)と言います。ニグレンは「エロスは人間的な愛であって(自己実現の愛)原理的に自愛であり、自己中心性を脱することができず、利己主義に近づく危険がある。反対にアガペーは人間的立場に対する優越性をもち純粋に無動機の他者実現の道。」

西洋の哲学者が説いた愛を日本人は平均的に美意識として持っていたのではないかなと思います。逆に集団のなかで自己を出すことは美意識では醜、信義では恥という感覚でしょうか。

 ドナルドキーンさんが東日本大地震を契機にして「大好きな日本を元気づけるため
に移住する」決意をされました。ご高齢のキーンさんにとっては放射能汚染国への移住は大決心の要る行動で、日本人は感謝すべきであり嬉しいことです。

 博士のご厚意に微力ながら報いたく、そのことをツイッターでつぶやいたfacebookに投稿したりしています。当サイトでも日本人について改めて考え博士を紹介させて頂きましたが、博士の日本に対する愛を裏切らないよう、恥ずかしくないよう
に行動したいものです。2011.7

2011年7月26日火曜日

愛犬永眠

甘えん坊の老ダックスが逝った。雷雨がきて涼しいのになぜかハアハアと呼吸が荒く、昨夜11時に寝ようとすると私を私を見つめる目が何かを訴えているようで寝るに寝れない。
一か月前から咳をして最近は頻繁に咳き込む。そして気のせいかピンクの舌が白い「血の気がない」ようだ。
数年前から覚悟はしていたがなんとなく悪い予感がする。後ろ髪を引かれたが寝ることを言い聞かせて深夜の3時にトイレに起きると冷たくなっていた。
 瞼は閉じられないので数時間は経ている。タオルだけをかけて寝ている妻には知らせずに寝た。
 しかしいろいろなことが頭をよぎり眠られない。妻がトイレに起きて驚くかと5時に起床し汚物などを拭き掃除した。二階で起きる気配がしたので階段をあがり告げた。
 
 娘が飼いだしたので電話すると駆けつけた。9時ころまで別れを惜しんで動物葬儀の南区の長楽寺へ妻と娘と3人ででかけた。9キロのチビ太は合同葬15.500円でお願いした。家族葬やお骨を加えると3万を超えるようだ。事務所へは電話が頻繁にかかり繁盛をしていた。
 お経をあげた僧侶が「縁」について話されたが、すべてが人間と同じような扱いだった。

2011年7月22日金曜日

ノーベル化学賞を受賞した米パデュー大の根岸英一特別教授(75)らは18日、文部科学省を訪れ、二酸化炭素(CO2)から燃料などをつくり出す「人工光合成」について、研究費の確保などを要請した。人工光合成については既に、根岸さんが国内の研究者とプロジェクトを立ち上げて取り組むことを決めている。
 根岸さんらは金属触媒を使い、有機物の炭素同士を結び付けるクロスカップリング反応を開発。自然界では、植物が日光を利用してCO2を分解する光合成を行っているが、根岸さんらは、同様に金属を触媒として使い、CO2を分解してバイオエタノールなどの燃料をつくる化学反応の発見を目指している。(2011/01/18-18:35)

太陽光利用で、CO2から液体燃料を作る

2011年7月21日木曜日

生を活かす営みが生活


被災者への国の補償が遅々として進みません。他人の苦難を考えるときは、その人の立場に立った配慮が必要ですが、私たちはどこまで被災者の苦難を理解できているでしょうか。

 健康的に生きることは生を全うできる生き方であり、営みとしての工夫や努力、家族や地域のつながり、休憩などの生活サイクルが必要です。 昔アメリカインデアンが居留区でお金で生活できても幸せでなかったように、また動物園の動物のように衣食住を与えられても幸せとは言えません。
 
 健康な人は野にでて生を活かせる生き方が生活なのです。
それは人類が人として立ち上がったときからのDNAとして受け継がれて進化してきた。
 現在の被災者の方々は、生活の見通しが立たないことに一番失望をされているはずです。
奪ったものの罪の大きさを国民すべてが共有しなければ日本は変わらない。また人災で他人の地域や家族の生活の場を奪った責任を、お金だけで償うことはできないことを国や電力業界は自覚すべきです。

 それにしてもなでしこはよくやった!。彼女たちは勝つごとに震災支援に感謝するメーセージを世界に発信した。これ以上の礼節はないよね!。「苦しいときは震災地を思い出せ」という監督の言葉を力にして元気を与えてくれた。泣かせてくれた!。日本女性を見直そ~。(^_-)-☆

2011年7月20日水曜日

大地震が世界の良識を震撼させた。

  3月11日の午後三陸沖でマグニチュウド9クラスの大地震が発生。その10数分後に見たこと
もないような巨大な津波が沿岸に押し寄せて、まるで爆撃後の焦土のように地域や家族、会社
、学校の絆を消滅させました。
 そのすざましさをテレビで報道されて被害を目の当たりしたすべての日本人を打ちのめした
のです。その上原発が損傷して深刻な日本列島の危機が世界に伝えられて、良識ある外
国の人々をも震撼させました。

 現在世界の原発専門家の協力を得て、手がつけられなくなった怪物を必死でなだめていま
すが、現状は手探りで綱渡りをしている状況です。
 この事故でイタリアとドイツが脱原発を宣言しましたが、日本では原発利権連合と目される人
が首相を交代させる動きをしています。

 科学は1+1=2の進化する世界ですが、科学をいかに使うか役立てるかは進化しない感情
の動物(人間)であることに深い憂慮を感じます。原発関係者の中にも想定の甘さを感じた
人はいたと思いますが、大きな推進の流れに逆らうことは私を含めてなかなかできません。
 家族愛や会社への忠誠心、また地元への安全を説明してきた手前だとか、勝つか負け
るかの感情とかの自己愛を優先して、つい曖昧になってしまうことが人間の脆弱性です。

 今回の津波想定の考えられないような科学者や電力業界の甘さや、事故後の危機レベルが
諸外国メデイアより低いなどの右往左往ぶりなど、言わば欠陥人間に世界は震撼した
と言えます。

 この事実から人の手に負えないような利権怪獣を手懐けられるという妄想を描くこと自体が、
自己愛に酔いしれている愚かさを証明していると言わざるをえません。
自らの欠点を知らない動物はもろいものですが、その昔に大きな天災で恐竜が死に絶えて
小さなゴキブリやネズミが生き延びたと言われています。人類もゴキブリになれとは言いませ
んが、欠点を知る身の丈に合った対応をすべきだと思うのです。 

 こうした人間の脆弱性は1+1=?であって、原発そのものの危険度より感情「傲慢、
怒り、妬み、勝ち組の優越感、ノイローゼなど」の欠陥があることを認識すべきです。

 恐竜(原発大量消費)+欠陥人間=2にあらず、?の日本沈没の恐怖を覚えます。
 全生物は地震、噴火、台風、津波、隕石などマグマ活動する危うい地球で生活して
います。日本が沈没するような巨大な怪獣を役に立たせようと飼いならすときは、日本
の国や地球環境「他者愛」をまず第一に考えるべきで、その後に個人の幸せがある訳で、
他者愛こそが究極の自己愛なのです。
欠陥人類が分不相応な恐竜を望む危うさより、スローライフやエコロジーに舵を切る
選択肢に人類の明るい将来を感じます。

 欠陥人類における賢明さとは謙虚に慎重に生きることでしか得られないのですから。

2011.6.30 のNHKクローズアップ現代をシェアする。

NHKクローズアップ現代で昨日「ドナルドキーン我が愛する日本へ」一昨日「シェア~誰かと何かを共有したい」が放送されました。

 前者は日本に帰化されるキーン氏の旅立ち前の「日本人と生死観を共有したい」という心情のインタビューでした。
 後者も題名のように、大震災やFacebookを契機として、ポリシ-や価値観などを共有したい、参加、シェア、連帯したいという心で、日本に新しい動き、価値観が芽生えだした、という内容でした。
 どちらも私には興味深くて最近UPした「復興支援の輪」と「Facebookの使い方2」に関連性があり更新UPしました。

「復興支援の輪」http://www.geocities.jp/oiroy61okeus/newpage320.ht..

「Facebookの使い方2」http://www.geocities.jp/oiroy61okeus/newpage316.ht..

馴れ合いがもたらした原発事故

大地震は人間にはどうしようもない天災ですが、今回の原発事故は軽々に想定外の地震
だとして責任逃れをしてほしくないですね。

なぜなら事故後の関係者の右往左往ぶりとレベル7という深刻な放射能被害は、宇宙のちいさな星、地球に乗っかって不安定、不条理のなかで生きている生物だという認識がなかったからです。人がコントロールできないような巨大な怪物を「安全」と言って飼いながら、いま手がつけられない危険な状態をなんと説明できるのでしょうか。

 原発は賛成と反対の歴史を経て、政官財の原発賛成組は安価安全だと推し進めたが、それは大嘘だったわけです。嘘でないとするなら人間の無知と驕りと欲望の結果でしようか。

 巨額の金が動くところに欲の皮がつっぱった政官財の人たちが集まります。徒党を組むように思惑を持つ人々が群れをつくればしがらみができて馴れ合います。

 しがらみは本来は川の流れを落ち着かせる柵の意味ですが、近年は正反対のマイナスの意味で使われることが多くなり、河口堰のように特定の人の利益を得るだけで、長良川全体はしじみや魚を減らして犠牲になるようなものです。

 政界でも一番に自分のために票と金につながる後援者への便宜を優先し、二番目に所属する政党の党利党略を優先し、三番目には属する派閥に阿る。四番目は情報源の官僚に媚び、五番目は献金先の大企業を優先して、国民はようやく六番に登上で、長年のこうしたしがらみ政治が今日「地震前」の疲弊した日本をもたらしたのだろう。 

 このような政官財の馴れ合いは建設資金を抑えて、その分を献金や箱ものづくりにまわして政官財の蜜月を図る。だから「もし事故が起きたら」なのどの発想はないし、その上危険な場所は下請け任せだから初動体制そのものの想定もなかったのだろう。まさに曖昧さを馴れ合ったのです。
  また当事者たちは「馴れ合いやしがらみの危険」を重く受け止めていないことも問題で、ほんの僅かな被害予想数値の甘さが、天災より恐ろしい生物が棲めない国家的被害を招く怖さを、大きな代償を目の当たりにした国の中枢を担う人たちは自覚すべきでしょう。