2008年12月20日土曜日

ガンバ大阪の活力

今年も残りわずかになり100年に一度という未曾有の不景気のまま年を越すことになりそうです。ニュースは暗い話題ばかりで若い人は職と住いを失いながら、明けましておめでとうとは言えません。
 昭和の時代はいまよりも生活が不便でしたが、右肩あがりの経済で将来に夢を持てる時代でした。当時と決定的に違う部分は少子化と高齢者社会になったことです。多人数のリタイヤされた人たちを少ない若い人たちで負担するさまざまな問題がでてきました。加えて官僚や政治家の体たらくで、ライフラインの年金や健康保険が破綻して、先行きに不安を抱える状況下での不況の襲来で、急激に経済を萎えさせて「100年」になったのです。
 食べられる食品が捨てられたり、空き家が活用されず放置されている状況などをうまく調整して利用するなど、手はいろいろとあるのにじれったい政治です。 
 18日のサッカー、マンチェスターU対ガンバ大阪の試合は、こうした暗い雰囲気を一掃する感動を与えてくれました。背の高さ、スピードなど身体能力の差は歴然としてましたが、攻撃的で見ごたえがあり若い観客を熱狂させて改めて「夢を与える」スポーツの良さを体感した。 スポーツ新聞の見出しは「マンU相手に衝撃の3点」この衝撃で若い人に活力を与え不況を吹き飛ばそう!。
木曽三川師走の光芒http://www.geocities.jp/oiroy61okeus/newpage140.htm

2008年11月23日日曜日

お千代保さん



秋の日にお千代保稲荷へでかけました。門前町には福を求める人と、串、どて、熱燗で食を求める人と、そのおこぼれうを貰おうとするワンコがいました、都会では見られない懐かしい昭和がここにはあります。

写真紀行「お千代保さん」

先日お千代保稲荷へでかけたら門前町に人馴れしたワンコがいました。


福を求めて参る人と串、どて、熱燗で食欲を満たす人と、ワンコが門前町に溢れる幸せな光景、

2008年11月17日月曜日

日本はオバマ嫌い?

先日の中日新聞夕刊「紙つぶて」に東京外国語大大学院教授の酒井啓子氏の、表題のようなコメントが掲載されていました。(抜粋)「世界的熱狂のなかでオバマ上院議員が米国大統領選に勝利したとき、海外の友人からメールが届いた。『日本政府ってオバマ氏が嫌いなの?』なんで?と聞くと『だってどの国も歓迎ムード一色で、先を競ってお祝いのメッセージを送る映像が溢れているのに、日本の政府の反応が冷たい』 なるほど欧米の新聞を読み直すと確かにサルコジは『米国はオバマ氏を選んだことで変化と開放性と楽観主義を選んだ』胡濤錦も『これは歴史的瞬間』と称賛し、対立するイラン大統領やハマスなども新政権との対話への期待を表明した。 日本とおなじ同盟国の英首相は『人種を超えた新政権誕生が、世界に同じ価値観をもたらしますように』それに比べて麻生首相は『どなたが大統領になられても日米関係を維持していく』でした。」 私は「冷たい」のではなく、人類の争いや対立の歴史に希望のもてる青写真が浮かばない、もともとそのような理念を持っていないのではと悲しくなりました。虐げられてきた弱者に愛と思いやりがあれば、今回の勝利は感動を禁じ得ないはずですが、、、。 世界に美しい秩序をもたらすためには、また平和の設計図を描くためには、オーケストラの指揮者のような豊かな美的感性と、苦労して育った環境の必要さを感じます。

2008年11月16日日曜日

水彩画UP

戒律

当管理人が参加している「コミュニテイ広場」で友人Dさんの「日本がイスラムの厳しい戒律のしたで暮らすことの是非」の日記に多くの賛否の反響があり、私も下記のようなコメントを投稿しました。 「人間の根幹に関わる興味深い議論です。宗教は人々の心の拠り所になりますが、度が過ぎると弊害をもたらします。どのあたりが妥当か?手を合わせたり頭を下げる祈りは、自らを真摯にさせ自己を律する。この程度の信仰で良いのかも知れません。 またこの問題は、「幸福論」という大きな命題につながって簡単には結論はでません。 仏教の戒律は他の宗教にみられるように厳しくありませんが、それだけに社会の一員として法律で定められない社会道徳などのルールを、自戒して規範としなければならずこれが自らに課す戒律でしょうか。 自由な民主社会のなかでは自戒は重要なファクターになります。自己愛を抑制して他人を意識した「礼節、信義、信頼、善意、謙虚」等の言葉に留意しなければなりません。留意「自戒」することが他者「社会、地域、自然、他人」を重んじる「他者愛」につながり、社会に規範となる秩序をもたらすものです。 武士は命より信義、名誉を尊んでいたようですが、これは他者に真摯に対応していたことであり、庶民も他人のことを「人さま」と呼び、人さまに迷惑をかけることを最も恥ずべきことだと考えていた時代がありました。”先生さま”とか”お巡りさん”も尊敬される立場でした。 日本には日本の良いところが多々あり、昔は貴族社会にも庶民にも習い事を尊ぶ風流人が多くいて、その結果日本にはさまざまで豊かな文化が育まれて現在に至っています。「習う」という行動は「祈り」と同じ自らを律する謙虚さの表れです。つまり社会や他人を常に意識し、謙虚に暮らしてきた現れです。何も習うことはないと考えている自己愛者には戒律は無縁なものでしょう。 近年他者を重んじる風潮は廃れて自分に甘い自己愛者が増え、社会の退廃を憂う事態になっています。識者はこの風潮を「活字文化の衰退は国の衰退」「Artがヒトを人間にする」「社会に美しい秩序を欲する美意識の欠如」と文化的衰退を指摘しています。 つまり文化の衰退が自己愛を超越できない精神の貧しい人を増加させているのです。通りすがりに簡単に人が殺されたり、弱者からひったくりする社会に心の痛みや悲しみ、社会の不条理等に怒りも何も感じない我関せずな人「自分さえ良ければと傍観している自己愛者」が増えていることがなによりの退廃です。高齢者の私が下記の信念でおこがましくも草の根で文化を訴えています。1、文化は健全な社会のための潤滑油である2、仕事の定年はあっても社会の一員の定年はない。3、自己愛は結局は自らを滅ぼす愚考であり、  他者愛が究極の自己愛である。4、仏教の「因果応報」の教えで自己愛者は結局は、殺伐とした社会で自分や自分の子孫でツケ払わなくてはならない。5、逆に他者愛者には広く愛する対象があり、その愛を他人と共有したい、知ってほしい、共に愛を分かち合いたいと、愛するものを絵画で描き、愛するものを土で捻り「陶芸」、愛するものを言葉で綴り「エッセイ」、俳句を詠み、キーボード「HP」を叩く喜びがあります。」6、自由社会には厳しい戒律はないが、それだけに個々の自戒が社会の重要な要素になる。

アメリカの選挙

アメリカ全土で何ヶ月も続いていた新大統領選にオバマ氏が勝利しました。「現地時間4日」初の黒人でしかも若さ「変革」を国民は選んだのです。 その選挙期間の長さと国民の熱意にまず敬服します。そして若さと黒人を選んだ国民の選択に敬意を表します。この変革は国民に大きな刺激と興奮、自信と感動をあたえました。わがアメリカの自由は素晴らしい!。変革を叶える豊かな文化があり、ダイナミックで柔軟な、男でも女でもない、黒人でも白人でもない懐の深いアメリカ社会がある。 オバマの勝利より変革を成し遂げた国民の叡智に感動をしているのです。そしてこの感動は全世界の人々のこころの琴線にひびくものです。日本の政治家や国民はアメリカの選挙結果をどのような気持で眺めているのだろうか。恥ずかしさを感じているのだろうか。 つい先日行われていたあのパポーマンス。数を頼みとする派閥の権力者が、大臣の椅子などの条件をつけてうちうちで首相を決め、国民向けには無駄な金と時間を使い「開かれた政党」であるかのようなパホーマンスの総裁選を行う。 振り返って比較すると、このような政治家を長年にわたり選んできた日本の有権者の差といえます。 多民族国家のさまざまな文化を抱合したダイナイズムは、新のアメリカを希求して旧弊を打破するエネルギーとなった。比べて日本は一国のリーダーを派閥の思惑だけで選ばれる重苦しい閉塞感を抱えながら、若さも変革の欠けらもない、相変わらずの自己愛者ばかりの悲しい日本の姿でした。