2012年7月15日日曜日

三大偽装

最近客人とこのような話をした。世の中にはあの手この手で他人を騙そうとする組織がある。例えば、
1新興宗教のフレーズは「幸せ」であるが、そのための仕組は不安を与えることにある。不安は泊まり込みのサークルのような環境で目耳から植え付けられて、不安を鎮めたり逃れるために入信することになるが、入信はすでに洗脳された盲目的状態にあり教祖に意のままに操られることになる。

2マルチ商法のフレーズは「利益」でそれを得る弁舌とパホーマンスを演じるが、独特のサギ的素養がありまさに名優で、ころりと信じて騙される人とがいる。次々とと新たな手口が発覚して被害額がマスコミを賑わすが、騙される人は「今度こそ信じられる」と考えて被害を重ねているようである。
 二つの詐欺組織「金銭集金組織」は同類で共通の素養のある人物が代表に収まる。
こうした話題のなかで私は「自分のため」の行動をしているのに「国民のため」をフレーズにする国会議員たちも似たようなものではないかと言った。彼らは弁がたちパホーマンスを得意としていることも周知の事実である。

「幸せ」「利益」「国民のため」いづれも庶民には耳障りが良い言葉だが、この三つに共通することは、声高に訴えれば訴えるほど嘘っぽく聞こえることだ。マニフェストなどできもしないこと「心にもないこと」を軽々に揚げ過ぎではないか。また真に国民のための行動をとれる人が何割いるだろうか。自分のためを偽装するのに国民が利用され騙されているが、国民はその程度にしか見られていないことに気付くべきだ。

2012年7月8日日曜日

原発事故について浜 矩子氏の論文 「誇り高き謙虚」中日新聞2012.7.8「視座」

当ブログで過去に「人の脆弱性」について述べました。また一昨日の国会事故報告書において、「原発事故は関係する人々の傲慢さにあった」とする原発事故報告書について 矩子 氏は「プライドなき傲慢」と関係者を断じた。このなかで浜氏は論拠となる「加賀乙彦」氏の近著「科学と宗教と死」の一文を引用されている。
「科学を追求するほど謙虚な気持ちが生まれる。、、、知れば知るほど、理解が進めば進むほど、
知らないこと、解っていないことのすざまじき広大さが見えてくる。その広大さへの畏敬の念が、
探究する人々を限りなく謙虚にする。そして神の抱擁のとてつもない懐の深さへの思いが募る」
これほど「プライドなき傲慢」から遠い世界はないだろう。、、、
------------------------------------------
「科学が発達すればするほど人は脆弱になり、だから謙虚にならなければいけない」
3.11以後に無学な私が”自然”から学んだ論理です。