2011年7月29日金曜日

自己愛と他者愛

  人はまず自分のことを第一に「自己愛」考えます。しかし社会のなかでは周囲の人に対する礼儀や感謝、気配りも必要です。特に女性、老人、子供、障害者、もの言わぬ動物などの弱者に対する思いやりは、人間を人間たらしめる最も大切な精神であり、その精神は自己愛の対極にある他者愛として位置つけられています。

 Artに関心をもつことは地球とか大自然に向き合うことですから、そのなかには地球環境から社会、生物、動物と人間などの生命とか愛などが対象になります。外にある大きく広いものに向けらた他者愛、または関心ということになり、他者を重んじる礼節や和に目覚めます。そして人間としての信義を尊び恥を知ります。

  この反対軸の自己愛者はうっかりすると文字通り自分中心の歪んだ価値観を持ち、矛盾と邪悪性を抱えることになります。礼節や信義、恥という言葉は他人を意識した言葉ですが、自分が良ければよい利己主義者は、無人島で住んでいるかのように他人を意識しません。エゴイズムは出世の風見鳥として役に立つ人には異常な気配りはするが、その反動で役に立たない人は見下して、他人との信義や礼節は意に介しなくなります。

 大会社、大きな家、大きな車をステータスとして人の価値基準を大小高低で判断する。 国の中枢の政官に不祥事が絶えなかったり一代で金持ちになった政治家などは、「当たらずも遠遠からず」でしょう。 また自己愛者は「自分は又は自分の子供はよその子より優れている」という盲愛、過信、驕りをもちやすく⇒周りから崇められて当然だというわががまな権威主義、権力志向者になり⇒権力者に従わない部下などには過剰な反応をします。他人を踏み台「虐げる」にすることに躊躇も罪悪感も無くなります。

 識者は贈収賄やセクハラ、パワハラなどを犯しやすい性格だと定義している。その上歪んだ価値観は自己の運命を社会や他人のせいにする「自己破滅」の過ちを犯します。 これは生体で異常増殖するがん細胞そのものです。つまり他者愛が結局は自己のためであり、自己愛は結局は自分を滅ぼすと定義できます。また他者愛は見返りを求めないから過信や傲慢さ、他人のせいにする邪悪性はなく「あばたも笑窪の異性愛は別です(^-^;」、深めるほど広くて大きな世界と連帯できますが、上記のような歪んだ自己愛は共存する他者や社会を否定した邪悪で孤独なブラックホールのような自己破滅行動に向かいます。

 現代の親殺し、子殺し、自分の死刑を望んで無差別殺人に走る若い人たちは、自己「孤独」からの出口を見出せない歪んだ閉塞感や絶望感に押し潰さた姿ではないでしょうか。 http://www.geocities.jp/oiroy61okeus/newpage307htm

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