2014年7月2日水曜日

空想に浸りすぎた作品

新聞の折込にBMW車の写真があり昨日の夕食後に描いた.。描いたあと何かを組み合わせたく思案したが、ヴェネチアの風景を背後に描き、カフェのテーブルには女性用の帽子とサングラスを置いてみた。BMWの持ち主は女性?という雰囲気だ。このような?な絵は描いたことがないが、今日になって????になった。ヴェネチアには車が走っとるのか?。ストリートビューでは見たことがない!。これは有り得ない絵ではないか?。地名を変えたら?。ネットで調べたら消防車も救急車も船らしい。バックを描き換えるか?。「創作」と断ってUPしても不謹慎だろうか?。
酒を飲みながら楽しい空想に耽り過ぎて描いた結果だが、題名を
「空想に耽り過ぎた作品」として残すことにした。
乗り物の絵一点UP
 Watercolor of the vehicle

乗り物の水彩画


2014年6月12日木曜日

動物たちの自画像



「動物たちの自画像」
高齢者になってからつくづく感じることがある。それは人間の残虐性と傲慢さだ。YouTubeで沼に落ちた小象を周りの大人たちが助けようとする動画を見たことがあるが、人間は邪悪な欲望で簡単に幼気ない子どもを殺してしまう。動物にも子殺しがあることを知ってはいるが、陰湿さ、卑怯さは感じない。
 
 何故なら動物たちは個性をもち分を守って自然の一員として生きている。そこが純粋で美しい。

比べて人間「特に日本人」は自然を侮り地球を破滅させるような原発稼働に舵を切ったが、私には一部の指導者の傲慢強欲、邪悪さ、愚かさを禁じえない。

 毎日のように報じられる悲しくおぞましい事件に、自然の一員を体感できる絵を描いて慰めてはいるが、梅雨の時期なのか心は暗い。地球の過酷な自然と対照的な人間の小ささが、やけに目に付く年代だろうか。

Web site
「YouTube投稿作品集」
http://www.geocities.jp/oiroy61okeus/newpage79.htm
アニマルランドanimal land
http://www.geocities.jp/oiroy61okeus/newpage39.htm

2014年5月10日土曜日

軒下の花

桜の開花を合図のように他の花が一斉に咲きだした。この時期は都会の家の軒下「花鉢」も癒される花がありますが、視界の広い郊外へ行きたくなる。特に好きな場所は丘陵地帯の知多半島で、菜の花の黄色い丘がいいね!。
ある好天の休日に稲沢の植木まつりに出かけた。ドライブは絵の題材探しでもあるが、植木まつりにあまり良い題材がなく、ここから西に位置するお千代保さんに向かった。その途中に見かけた木造の民家の雑然とした庭に美を感じて写真を撮った。
雑然とは土の庭に花鉢、古タイヤ、棚、物干し竿、柵、レンガ、自転車などが雑然と置かれていて、建物にも補修の跡があり生活感が溢れている。自然の一員という人の存在が色濃く感じられて調和した美しさになるのだ。
 コンクリートの家と鉄製のドアや門のある軒下の花鉢には美は感じ難い。自然の一員である人が自然を拒絶するように感じてしまう。
例えば高級住宅地の風景より雑然とした下町のほうが絵になることは良く知られている。またスーツ姿の青年と農村や漁港の日焼けした老人と、どちらがAat的だろうか。
美意識や価値観は人それぞれだが、絵をかくことは地球、自然界、いきものへの愛や慈しみの表現とするなら土の上の雑然さは美しく尊い。

2014年4月17日木曜日

自宅脇に水道道という長さ1キロもある桜並木がありながら、私は毎年未知な桜を求めて遠出する。今年も休日が好天に恵まれて岩倉の五条川と揖斐郡池田の霞間ケ渓へ行った。いずれも桜100選で人出も多く、桜も満足げに良い顔をしていて感動した。
 水道道との差について考えると都会を離れれば山も川も田畑もあり、視界が広がって自然と一体した趣があるが、建物だけの水道道は堅牢な塀や鍵のついたドアがある外部と隔離した建造物で、外を拒むような風情がつまらないのである。桜はどこで見てもも同じだ、という人では絵を描く動機も生まれないだろう。
 寒い冬の終わりを告げる開花は、すべての生物が喜び和み睦みあっているように感じるのは私だけだろうか。
またパッと咲いてパッと散る桜は、地球年齢に比較した人の命の儚さと通じて、共にひとときの平穏な穏やかさを愛でる気持ちもある。
 さらに日本人は3.11以後、二つの衝撃を受けた。一つは地球の恐ろしく過酷な環境、二つ目にはそこで生きる人間は慎ましく謙虚に生きるべきであるのに、人間の無知と傲慢さの衝撃であった。無知と傲慢の例は「原発事故の人災」に見ることができるが、フクシマの反省もないことは不確実さが増して、まさに桜を眺めてひとときの平和で平穏な景色を愛で、睦み合う風情が痛く尊く感じるのである。

白い画用紙に白っぽい桜を表現することは難しく工夫が必要です。

ファイル名44は岐阜県瑞穂市馬場の父親の実家近く。田畑は河川敷になり桜は堤の土手。青空を先に塗り乾いてから不透明水彩で桜を作る。油絵のように塗り重ねができて楽だが、くどくなりやすく爽やかさを損なわないように描きたい。ここから30分ほどで51の池田に着く。

52は名古屋の名城公園で、桜の部分を除いて「抜いて」周囲を塗りこみ、抜いた桜の部分は影とピンクで桜のモコモコ感、立体感をだす。

フアイル名51は岐阜県揖斐郡池田の霞間ケ渓「かまがたに」のさくら100選。描き方は前二つのミックス。

3作にはすべて人、「人気ひとけ」をつくり、ひとときの平穏さの思いを籠めた。

池田の桜は「霞間ケ渓のさくら」でYouTubeに投稿。
Webサイトは「富士山と桜の絵」へ
Picture of Mount Fuji and cherry
http://www.geocities.jp/oiroy61okeus/newpage103.ht..

岐阜県瑞穂市馬場糸貫川河川敷
 岐阜県揖斐郡池田町 霞間ケ渓さくら100選
 名古屋市名城公園


2014年4月6日日曜日

3月21日にテレビN特?で「テレビ局がインターネットに危機感」が放送された。スマホの普及とネットの進化等により、いまやネットでニュースやドラマが見られる時代になり、その上ツイッターやYouTubeは双方向の楽しみもあり、若い人たちで利用者が爆発的増加していて、テレビ局は危機感を持ち対応している由。
あれほどのテレビの存在が薄くなるとは、良くも悪くもネットがそれほど進化普及したことで、科学の恩恵を享受できる社会と言えます。しかし高校生の起業家が現れる反面で精神を苛まれる若い人もいる。
 ここで人類が自覚すべきことは科学は一方通行的に大きくなるが、進化できない人間は相対的に脆弱化することです。

脆弱化した人間が厳しい地球環境や巨大化した科学に唯一対応できる手段はヒトとしての謙虚さでけだが、そのことが分からない人、傲慢で身の程を知らない金権亡者が、日本の権力中枢に多いことは大変危惧されることです。

 良い例が3.11の津波の破壊力と原発事故への不細工な対応です。その反省もなく再稼働に進む集団の傲慢さが理解できない。集団は「集団ダイナミズム」を得て暴走に歯止めがかからなくなります。過去の暴走の悲惨な例は世界の歴史に溢れていながら、おぞましい亡者たちの再稼働に思えてくる。

 4月1日に愛知県岩倉の五条川へ花見に行った。好天に恵まれて春休みで屋台も多く出て賑わっていたが、古里を追われたフクシマを思うとき、岩倉の人々のひと時の平和で穏やかな雰囲気を尊く感じるのは私だけだろうか。
五条川で感じた「ひと時の平穏」をスライド動画でYoutubeに投稿

さくら気分の4月5日にMLBヤンキースのマー君登板がNHK地デジで放送された。
楽天優勝パレードに40万人の人出があったように、東北人の野球に対する夢やロマンは相当なものがあり、
避難されている人でBSを観られる人は少ないことを考えると、よくぞNHKさま放送してくれたと感じたネ。

 夫婦⇒趣味のサークル⇒社会などの人の集まるコミュニティの基本は「他人を尊重すること」です。他人を尊重して活かすことで、自分も生きられる良い環境が生まれる。「他者愛」それに反して自分がNO1だとする上から目線の自分さえ良ければ良い人もいます。「自己愛者」

両者の明らかな差は視界の広さです。自分以外のすべての人は他人であり、自分の周囲360度の明るい視界を得て、美しく尊い地球や支え合う社会の成り立ちよく解る。
また他人を思いやる広いこころや地球の尊さを訴えるArtにも目覚めるが、自己愛者は上か下かの暗い視界しかないのではなかろうか。

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