2009年11月2日月曜日

ハード面のアンチエイジング医学の進歩は百歳の長寿を可能にするが、進歩性のない脆弱性を持つソフト面の人のこころは、現代をどのように対応すべきかについて考えざるを得ません。
 現代の高層ビルなど構造物は巨大で、個人の住いも重いドアと頑丈な鍵をこしらえ、また柵や塀でしきり屋内もプライバシーとかで個室が多くて、まるで外部と対立しているようです。このように社会や科学が大きくなるほど脆弱さを持つ人間は阻害されたような孤独と不安を抱え、犯罪は異常さと低年齢化を招きさらに世相を暗くして悪循環となります。

 未開の奥地に住む原住民の生活をテレビで見たことがありますが、彼らは雨がしのげるだけの小屋に住み家財も少なく粗末な生活をしているが表情は意外と明るい。原始的な社会ほど個人の生活は地域や自然と関わりは深く、素朴な信仰や行事のなかで生き、個人の喜びや悲しみは地域とか全体で分かち合っている。
 まさに自然の一員というつつましい姿で、科学の恩恵は受けられなくとも心は健全であり、少なくとも親殺し子殺し、うつ病の自分殺しはありません。
 

 長寿を含めた物質的豊かさのなかの孤独な国民より、貧しくとも豊かな文化を共有できる国民であるべきで、そのファクターとなるのは「健全な社会の潤滑油」と言われる文化です。地域の文化を通した人々との連帯感や価値観の共有、家族愛、信頼関係を重んじることが、健全な精神を育む人間社会の原点であろうかと考えます。

 この点について日本には先人が残してくれた世界に誇れる自己と他者との『和』の文化が残されています。いまは廃れましたが日本人の礼儀深さや勤勉さ、自然を凝縮した生け花、俳句、和敬静寂の茶道、枯れ山水の盆栽、苔蒸す社寺の浄土の庭園と思索の小道、悟りの禅と筆を惜しむ水墨画、幽玄な侘び寂びともののあわれの世界など、他人を意識して尊ぶ日本人の美意識であり文化です。
 またお祭りや盆踊りなどの地域に伝わる行事もしかりで、このような文化を尊べる人は社会や他人を尊べる人であり、自己愛を超越した他者愛者として健全な精神、無欲な愛の連帯感をもたらすと定義できるのではないでしょうか。


他者愛
http://www.geocities.jp/oiroy61okeus/newpage307.htm
  
万博に 列なす民の 日永かな 

2009年11月1日日曜日

奈良文化の重み

 奈良と名古屋間は車で2時間ですが、自宅へ帰ってたときに二時間前まで居た法隆寺とのタイムスリップしたようなカルチャーギャップを感じました。印象の余韻がいつまでも脳裏に残り、この余韻は撮ってきた写真からも水彩画を描くエネルギーになり、未だに「10月18日」水彩画で奈良を追いかけています。  
 感動の余韻でいつまでも絵画を描かせる奈良とは「何ぞや?」と考えるにつけ、先人の遺した国宝や長年に育まれた文化の尊さは、国民の真の宝物だと実感できます。UPした風景画はどこにでもある田舎の景色ですが、石舞台近くの風景だと説明するといにしえのロマンが湧いてきませんか?。ロマンボケの私の独りよがりかも知れませんが、歴史や大自然への畏敬の念は絵画を描くときのエネルギーになります。